神社本庁

神道

神社神道

 神社神道は神社と呼ばれる神を祀る建造物を中心に、地域共同体及び血縁共同体によって営まれる祭儀・諸活動を含む全体を総称する呼称で、皇室祭祀と共に神道伝統の中核を成すと理解されている。

 1946年2月、前年に日本占領軍総指令部によって発せられた所謂「神道指令」を受けて、神社界は日本のユニークな文化伝統を護持する目的を以て神社本庁を創設、現在、約八万の神社がこの組織に加入している。しかし日本人の営んで来た神祭りの伝統は、本来、特定の教主が教えを説き、それを信奉する信仰者によって教団が組織される、所謂宗教団体ではないので、定められた教義・聖典を持っていないだけではなく、個別神社の創立にも夫々の歴史的事情があるために、伊勢神宮を結束の中核とする包括宗教団体としての神社本庁には、その目的と精神とを述べた「憲章」と神社神道を信奉する者の指導精神を示した「敬神生活の綱領」が定められてあるのみであり、後者の内容は以下の通りである。

  1. 神の恵みと祖先の恩とに感謝し、明き活きまことを以て祭祀にいそしむこと
  2. 世のため人のために奉仕し、神のみこともちとして世をつくり固め成すこと
  3. 大御心をいただきてむつび和らぎ、国の隆昌と世界の共存共栄とを祈ること

 明く浄く正しく直き心は奈良時代(724~780)天皇の宣命(せんみょう)に用いられた言葉で、天皇と国家への忠誠を表す国民の心の在り方を示しており、「神の命(みこと)持ち」というのは、神道神話に於いて天照大神の御孫(みまご)が日本の国土にこの国を治(し)らすべく送り降(くだ)された時、「お前はこの国に降って治めなさい。その治らしの御業(みわざ)は歴代の天皇に継承され、天地の続く限り限りなく栄えて行くに相異ない」と祝福された、そのお言葉を実現するための使命を意味している。

 神社は神の社(やしろ。屋の代わり)を意味し、古代、出雲大社のようにその創立当初から住居形式の建造物を持つ神社は寧ろ例外であり、大神(おおみわ)神社のように山そのものがご神体であったり、榊など特定の神を招く標(しるし)としての樹木を中央に立て、一定の地の四方に注連(しめ)を張り、祭りの都度神を招いた施設である神籬(ひもろぎ)、或いは大小の別こそ見られはするが、特色のある岩石を神座として設定された場所(磐境。いわさか)で、祭りが行われていた。ところが仏教が伝来し、蘇我氏によって祀られた時、既に仏像をお堂形式の殿舎に奉祀する様態を執っていた事からその影響を受け、神をも殿舎に祀るのが一般的になったと考えられている。古代の形式は、今も地鎮祭等の際に見ることが出来る。しかし中世(1192~1603)に仏教の影響を受け、仏像に真似た神像を祭った神社の出て来たのを例外として、神社の御神体に神像の用いられた事はない。神社の建造物は本来、伊勢の皇大神宮の例に見られるように、白木の用材、萱葺の高床式貯蔵庫又は住居形式のものであったと考えられているが、時代と共に仏教・陰陽道などの影響を受け、諸種の形式が展開し、彩色・彫刻等が施されるようにもなった。今日では火災に配慮してコンクリート製の社殿さえ見ることが出来る。