神道
礼拝の儀礼
礼拝の儀礼、神道は教義・戒律によって信仰者の行動を律する宗教ではなく、神と直接し、神を礼拝することによって自己の生活姿勢を正しく保持し、神の加護を祈願する信仰であるから、礼拝・祭祀の儀礼を特に重んじる傾向が顕著である。先ず神社の祭りには、大祭・中祭・小祭及び雑祭の区別が有り、大祭は祭神又は神社の由緒によって行われる恒例の祭り、年の稔りを祈る祭り、新穀の収穫を神に感謝し共食する祭りなど、中祭は日本の建国を祝う祭り、元旦の祭りなど、小祭は大祭・中祭以外の祭りであり、雑祭は庶民が家を建てる時の地鎮祭・上棟祭や神葬祭・七五三などである。祭りの性格によって規模もまた相異している。
特定神社の由緒ある祭りには天皇陛下から特に勅使が差遣され、幣帛の献上される場合がある。神社で行われる祭儀に当たって、奉仕する神職は一定期間、潔斎の為に忌み籠りをし、拝殿に参列する信仰者の代表も、最低、前夜の潔斎が求められている。当日の祭儀が開始される以前、必ず先ず手水の儀が行われる。手を洗い、口を濯ぎ、再び手を洗う手順で身体の浄めが行われるが、これは本来、海又は川で行われたものを簡略化した形式であり、海は清濁を合わせ飲み込んで総てを本来の清らかさに戻すと信じられていたからであり、日常生活でも塩は穢れを清める儀礼として一般に用いられている。例えば伝統的な闘技である相撲では、競技の前に不浄・禍を払う為に塩を撒くし、日本式料理店では清浄であることを示すために、玄関に盛り塩をしている。潔斎が河川で行われるのは、勿論、一切の不浄を流し去ってくれるからに他ならない。神社では手水の後、修祓の儀礼が執行される。これは神道神話で、国生みの主神伊邪那岐神が死者の国から帰還した後、生に対して死が持つ否定的価値を払い去る為に行われた禊に習って執行される儀礼である。その時、神話に伝えられている祓の神々を招来して儀礼が行われる。これは過去に人が自覚せずに犯したであろう諸々の罪や穢れの総てを払い去って、清浄な心身で神前に立っための儀礼である。神道では災いをもたらし、人間の心に働き掛けて悪を犯させる神の存在をも信じており、かつ人間自身もまた誤って罪を犯すと考えられているので、神話時代以来こうした罪を払い去って下さると信じられて来た神々に願っての信仰に基づく儀礼が大切に守られて来た。この儀礼を通じてこそ、人は始めて神の前に立つ資格を与えられるからである。
神前での祭儀は普通、太鼓によって開始が告げられ、先ず宮司(祭主)以下祭員・楽士、そして地域の崇敬者総代たち、及び一般崇敬者一同が揃って神霊に一拝することから始められる。神殿の御扉(みとびら)が平素閉じられている場合には、宮司によって開扉する間、一同は低頭し、祭員が警蹕((けいひつ。厳かにオーと、息長く発声する)を掛けて、参拝者に神の前に立つ姿勢を持つよう、心身の緊張を促し、次に一同着座の中(うち)に、祭員によって神前に御饌・御酒が供饌され、その間、笛・篳(ひちりき)・笙など古代楽器による素朴な楽が奏される。神前の供物は日本人の主食である米(餅)・酒・その他時節時節の山の幸・海の幸・野の幸であり、これは日本人が賓客を招いて接待するのと同様の様式だと言って良い。その後、宮司によって祝詞(神に申し上げる言葉)が奏上される。恒例の祭りでは、既に七世紀に成立していたと思われる古式の祝詞が奏上されるが、新しい祭りでは現代語に近い用語表現でのものが多い。その後、神話で天照大神の為に演じられた女性による神楽が舞われ、次に宮司他代表者による玉串奉典礼拝が行われて、祭儀実質は終り、閉扉・撤饌、そして一同揃っての拝によって閉じられる。玉串は幣吊を奉る儀礼の簡略化されたもので、正式の祭儀では、供饌された食物を調理して、御酒(みき)と共に祭儀参加者による共食(直会・なおらい)の儀が行われるが、今日では神酒だけを頂戴する略式が一般的である。
個人で神社参拝をする時には、手水を執ることで禊・祓いに代替され、神殿前に進んで、鈴の下げられている場合にはこれを振って鳴らす。これは神前に参進したことを神に認知して戴くための行為であり、その後、賽銭・供物などを捧げ、両手を腿(もも)に置き、膝まで下げて二度拝礼し、胸の前に両掌(てのひら)を合わせて、二度掌を開き合わせて(柏手・かしわで)打つ。音を出すのは、言葉で申し上げるのと同様、神道に於ける神と交流する為の一つの手段だからである。その後一拝して拝礼は終る。最初に行われる二度の礼拝、そして二度の柏手は、重ねる事で礼の重さ、礼拝する者の篤い敬意を表現している。出雲大社では柏手を四度打ち、伊勢の正式祭儀では拝をして手を八度打ち、それを八度繰り返す八度拝が行われている。