神道
罪と倫理
神道は本来村落共同体の中で成立した自然宗教であったから、罪の認識も、また倫理も、神を祭祀する精神と同様、すべて共同体の存続と繁栄・発展に志向されており、従って宗教としての罪や倫理の認識と、社会が存立し継続発展するための法律として定められた罪や、社会教育を通じて教えられる倫理との問に、決定的な相違は存在していない。歴史的に天皇家を中心とする氏族連合体国家から法律による国家統治機構が整備され出すのは、33代推古天皇の御代(593~628)であるが、更に一歩進んだ中央集権国家としての体制を整えることの出来たのは、38代天智天皇から40代天武天皇の時代(661~686)で、この時代に成立していたであろうと考えられる宗教的儀礼としての祓いに用いられた大祓詞は、今日もなお用いられており、そこに天津罪と国津罪に分類された罪の数々が列挙されている。この時代は、中国の唐時代に成立した法律に習った律(刑法)と令(行政法)が施行されており、神道によって禁じられていた宗教的罪行為と世俗法に拠って禁じられ罰せられていた行為とを比較して見るのに最も便宜である。大祓詞には重大な罪を天津罪と名付けているが、それらの行為には神話の中で最高神である天照大神の弟神須佐之男命が、自分の心に姉への叛逆が無いことを証し得た喜びの余り、姉神が新嘗祭の為に米造りをされる田を荒らし、祭りの対象である神々に捧げる為の衣類を織る機殿(はたどの)を穢した諸々の行為が挙げられており、詰まる所、すべて神祭りへの妨害行為であることを意味している。神話では、この行為の故に須佐之男命は財産の一切を没収され、身体罰を受けた上に、天上界から追放されているが、神話が文字化された同時代の「律」によると、これ等の行為は、矢張り最悪の罪として挙げられた八虐の第六、神社を損壊し神物を盗む行為に相当しており、直接神璽(しんじ)に対する不敬のみが絞首刑で、他は流罪と定められており、ほぼ相当する対応関係を示している。更に大祓詞の中で天津罪と対を成す形で国津罪の名によって挙げられている諸行為には、傷害・殺人・子殺し・近親相姦・毒物使用・呪詛などの他に、雷・鳥類及び爬虫類等による災害が含まれており、その精神は一貫して共同体の存続を危殆(きたい)に陥れる人間の諸行為や自然災害を指し示しており、人間による行為は、犯罪として、律令時代には法によって罰せられており、自然災害は宗教的祓儀礼によって、その災気を祓い去ることが試みられている。つまり日本の伝統では、宗教が世俗法と異なる特別の戒律を持たず、世俗と同様、共同体の存続発展に中心的価値を置き、世俗法が整備された後には、宗教としての神道が、自然と人間による否定的な力の働きを和らげ、建設的な方向の力を促進する為の祓いの儀礼を営んで来たというのが歴史上の事実なのである。
以上のような倫理の在り方は、西洋世界と摸するようになった明治の近代(1868)以降に於いても、基本的に変化してはいない。即ち世俗法は罪の行為を列挙し、罰則を規定しているが、宗教的立場に在る神道には、「何々すべからず」とする否定表現での戒律が無く、神祭りの中心であられる天皇による国民へのお教えが、倫理の基本とされて来たのである。明治天皇の下された教育に関する勅語がそれで、そこに挙げられた徳目は、先ず国家への忠誠と共同体としての基本である家庭倫理、即ち親への感謝と尊敬を挙げ、次に兄弟姉妹問の友愛、夫婦の和を説き、次には社会的人間関係に進んで、朋友間の信、自己の慎みと謙譲、他者に対する博愛を挙げ、修学による知能の啓発を計り、その力をもって公益に奉仕することが強調されている。神道は人間が神の営みを継承することを信条とする信仰だと言って良いだろう。