靖國神社をめぐっては、首相の公式参拝の是非等々、毎年のように激しい議論が交わされています。本稿は、この錯綜を極めた問題に対して、なんらかの立場を主張しようとするものではありません。ここでは、そのような果てしないともいえる議論の影で、ともすれば閑却されがちな靖國神社本来の性格、日本の宗教風土から培われてきたその信仰の底流を、簡略に示してみたいと思います。