(公民館講座資料)
実施状況の詳細
平成26年3月中旬頃、氏子地域の興除公民館より高齢者セミナー(聴講者100名)の講師を依頼されたので、各種資料を作製・準備し、8月22日午前10時から、ゆうゆう現代セミナー「地域の神社のいわれと興除の歴史」と題して1時間30分の講演を行った。(教化資材・氏子のしおり『はじめての古事記―日本の原点にふれる―』も100部持参)
氏子地域は、平成27年で192年を迎える干拓地に過ぎず(当社は漸く182年目を迎える)、歴史的には非常に若い土地柄である。
故に、江戸後期から明治初期までの文献を紐解けば、神社の由来や、地域の歴史は明白であるが、単にそれを講義するだけでは信仰とは程遠く、何か浅いものを感じた。
一応、公民館からは信仰や宗教めいた内容は除外するように釘をさされていたが、新興宗教のように、低俗かつ現世利益的な内容でなければ宜しかろうと解釈した。
そこで、氏神の宮司らしく、当地の母体であって、国生み神話や神功皇后伝説に関わりの深い「吉備の穴海」と「児島」に着目し、氏子地域の歴史に深遠なる奥行きを持たせるとともに、特有の土質に因む干拓当初の苦労に思いを馳せ、神社に対する先人達の真剣な祈りを推し量れる内容に留意した。
<講演内容>
- 干拓の母体となった吉備の穴海について(国生み神話に登場する「児島」・児島地方と神功皇后伝説)
- 吉備の穴海の干拓の歴史概説(吉備の穴海から児島湾の形成・児島湾の干拓事業の全体像)
- 興除新田が形成されるまでの経緯(江戸初期から100年の間に都合7度の頓挫を経て)
- 興除神社始め、村内各社の由緒(開拓当初の生活の厳しさ)
- 興除神社の祭神の特異性(五行全神を祀る村民の祈り)
- まとめ(日本の神祭る風習とフランス人ポール・クローデルの至言)
なお、聴衆が高齢者であるので、字の大きさにも留意したが、帰宅後にご家族やお孫さんにも読んで戴けるように、なるべくルビを多用している。
経費
講演資料の印刷(100部)は、公民館のリソグラフで行ったので、経費はかからなかった。
ただし、講演後、社頭配布用に500部程度を社務所のコピー機でカラー印刷したので、約21,000円の経費がかかった。
なお、資料作製までの経費については、公民館図書や氏子・総代から借用した文献を元に、数ヶ月をかけて自らパソコンソフトを駆使して作製したので、特にかかっていない。
成果
たった1時間30分の講演時間では、準備した資料内容の全てを網羅することは不可能ではあったものの、大いに盛り上がり、休憩無しで続けても、未だ聴き足りないといった感じで終えた。
公民館館長からは、「高齢者ばかりなので、普通は途中で眠る方もいれば、休憩を挟まないと体力的に持たない方が多いのだが、今日は皆さんずっと起きていて、熱心に聴いておられた。とても有意義な内容で、地元に長く住んでいる方でも存じない事ばかりだったので、大変喜んで戴いた。」とお褒め戴いた。
当社本殿には9柱もの祭神を祀り、中でも五行神の全5柱の神々を祀る特異性には大変な共感を抱いたようで、余所には無い、有り難い氏神さまとして再認識されるに至ったのは上々の成果であった。
高齢者ばかりであったので、子や孫にもしっかり伝えていきたいとの感想も直接頂戴し、講師として奉仕出来た事を甚だ光栄に感じた。
その後は知己を多数伴って参拝して戴いたり、正月には初めて祈願に来られた方も多々あり、確実な手応えを感じた。
なお、本資料に着目した近隣神社(彦崎天神社)の宮司の申し出により、岡山県神社庁児島支部の神宮大麻暦頒布始奉告祭(10月27日斎行・場所:彦崎天神社)において、祭典後、児島地区の干拓の歴史についての講演依頼を受け、資料を元に、会場神社周辺に関係ある内容に変更、参列した各社宮司・総代長約40名の前で、「吉備の穴海と干拓の歴史」と題して1時間ほど講演した。会場神社に主眼を置きつつ、現在の広大な岡山平野の形成過程のあらましを知り得たと、感謝の言葉を戴いた。
反省点並びに改善案
1時間30分という時間枠に対し、資料の掲載内容が多岐に亘り、講演では全ての解説に至らなかった。
折角多大な時間を割いて作製した興除新田干拓に至る迄の詳しい経緯について、10分もかけられなかったのは少し残念であった。
ただし、なるべく図を多用したので、自宅に持ち帰って充分に時間をかけて読んで戴ければ、しっかりと理解出来るように構成していたため、後日、御礼の電話を頂戴することもしばしばであった。
同種の計画を持つ神社へのアドバイス
公民館という地域密着型の公共施設からの依頼であれば、最良の教化の機会であるので、積極的に講演に臨むべきである。
文献の上で明確ならば、神社や地域の歴史を解説するのは勿論のことであるが、何故、我々の地域にその神々を祀るようになったのか、神々のご神徳に基づいて、先人達の苦労や様々な歴史的経緯から余すところ無く推量し、真摯な祈りを込めて創建された神社の尊さと、連綿と続く祭典の意義について、強く深く浸透させられれば上々ではなかろうか。
日本の神祭る風習は、自国民からすれば身近な当然の光景であって、未だにその意義を見いだせないような風潮が蔓延している。ポール・クローデルの言を大いに拝借して、我が国の素晴らしさを再認識出来る教化を目指せば、なお上々と思われる。
特に高齢者向けの公開セミナーについては、知識欲旺盛で人脈の広い人物の参加が多いので、様々な可能性を秘めていると思う。