(補 修 前) ⇒ (補 修 後)
写 真 1 本殿屋根の補修
(伐 採 前) ⇒ (伐 採 後)
写 真 2 雑 木 伐 採 作 業
写 真 3 手摺の新設 写 真 5 車用参道の新設
(修 復 前) ⇒ (修 復 後)
写 真 4 手水舎の修復
実施状況の詳細
モデル神社に指定された当時は、いわゆる不活動神社の状況で境内建物を含めた周辺も竹に覆われてしまい荒れ果ててしまっていた。そこで3年間で以下の整備を段階的に行った。
【1年目】
◎竹その他の雑木伐採作業
とにかく雑木等が散乱し、参拝の妨げになる状況であった。世話役もおらず運営費もなかったので、本務社の職員と共に自ら伐採と整理に着手した。
◎本殿屋根の補修
台風の被害により本殿の一部が破損。応急処置ではあるが補修を行った。
【2年目】
◎竹その他の雑木伐採作業
1年目から作業を継続していたところ、その作業に対し崇敬者からの資金の奉納があり、それを基に作業を業者に依頼し、周辺の雑木をすべて整理した。
→写真2
◎手摺の設置
参道の石段に手摺を新設した。
→写真3
◎植樹
戦前は境内に梅の木が多数植えられ、市内一の梅林であったと伝えられている。雑木の伐採整理も一段落したため、昔の姿を取り戻すべく梅の植樹に着手した。
2月の天神梅祭りの時に崇敬者、参列者にその主旨を説明し、併せて植樹祭を行い引き続き植樹を行った。
【3年目】
◎手水舎の修復
老朽化した手水舎の覆い部分を修復した。
→写真4
◎車用参道の整備
亀井神社は小高い丘の上に鎮座しており、社殿まで車が乗り入れられなかったため、特に祭りの準備の時などに不便であった。その改善のため車が通れる参道を設けた。
→写真5
経費
それぞれの事業に要した経費は以下の通りである。
本殿屋根補修 136,500円
樹木伐採 1,110,000円
手摺の設置 315,000円
植 樹 229,700円
手水舎の補修 470,400円
車用参道の整備 223,860円
計 2,485,460円
当初はまったく資金がなかった。最低限必要な水光熱費でさえ本務社から支出していた。モデル神社に指定されて、まずは神社庁より戴いた神社振興助成金(毎年200,000円)を資金の核とした。その後は奉賛活動を実施し、思いもよらない寄付を含めて合計約1,500,000円御奉納戴き、それを逐次主な事業に充てていった。
また、延岡市の進める「市民まちづくり活動支援事業」に補助金を申請し、これまでに約500,000円の助成を戴いている。当然の事ではあるが神社として(宗教法人として)公的補助を受ける事は困難であるので、「亀井の丘夢づくりの会」という地域活性化の活動名目で申請した。さらには、本務社からも必要に応じて支出した。
成果
整備の状況は添付資料の写真の通りである。一言でいえば、ずいぶん綺麗になった。
おかげで、まったく参拝者もなくなっていた神社であったが、日々の参拝者も増え、祭りのたびに変わっていく境内の姿は氏子や崇敬者から喜ばれた。さらにそれによって世話役も一層境内整備に力を入れ、「おらが神社」という意識の高揚を感じる。
正直なところ、当初は何をどこからどうやって手をつけたら良いのか途方に暮れていた。「取り敢えず出来ることから自分の手で」と雑木の伐採から取りかかった。終わりの見えない焼け石に水的な作業であったが、その姿にある崇敬者から500,000円の寄付の申し出があった。「何かやっちょりゃ、神さんのお恵みがあるもんじゃ」と一緒に作業を行ってくれていた方々と喜びあったことを鮮明に覚えている。
ある意味、そういった感激(お恵み)を戴き、継続していこうという気持ちを呼び起こして戴いた事が一番の成果であったかもしれない。
問題点、反省点並びに改善案
今後更なる境内整備を進めるには特別な崇敬者に頼るばかりでなく、今以上に氏子全般への理解と協力が必要である。
同種の計画を持つ神社へのアドバイス
「氏子は神主の後ろ姿を見ている」とよくいわれるが、正にその通りであると痛感した。
何事も諦めずに、まず出来ることからでも行動を起こす。